夜は月に吠える

孤高ではないただの孤独な一匹狼です。2/25までブログ休止

死にたい気持ち

自分はたぶん死にたい病にかかってると思う。


うつ病とも違う。死にたい病。


さっきまで普通にテレビとかユーチューブとか見てて笑ってたのに、突如襲ってくる死にたい気持ち。


これは喘息の人が急にハァハァしだすレベルの、突発性(笑)





もーとにかく死にたくなる。


こう書くとかなりマイナスでネガティブなイメージ。


健康な人からしたら、たぶん理解できないと思うな。


考えすぎるからだ、とか、なんでも悪いように考えるな、とか言われるしね。


それはそれで気遣ってくれてるんだと思うけど、残念ながら特に深く何も考えていない人、なんでも悪い風に考えたりはしない人、


そういう普通の人でも、ある日突然死にたい病にかかることがあると思う汗


自分は逆に生まれてから高1くらいまでずっと活動的でおしゃべりすぎた方だったし…。
性格もドがつくほど明るすぎたし…。うーん、今の自分とは違うかも。根本は変わってないけどね。


大体の人は人生で一度や二度、そういう時期があるんだと思う。原因がなんであれ。


そういう経験をして心が弱っている人に対しての理解が深まったり、自分の人間的な成長になったりするんかなーと。




でも死にたいって思う気持ちが出てきても、そうじゃない。


本当は生きたいの。幸せに生きたい。


死にたいは生きたいっていう気持ちがあるから生まれるもので、表裏一体。


今死にたいって思ってても、またあ~生きるって最高!とか思う瞬間がくるw


本当に死にたかったらこの記事投稿する前にそこの窓から飛び降りてると思うし(笑)


そこを分かってれば、本当に死ぬことはないんだな。


死にたい気持ちは一過性。永遠には続かない。




前はもしや学校が嫌すぎて死にたい発作出てんのか?とか思ってたけど、案の定そんなことはなかったww


授業終わって試験日まで自宅学習中なのに、前より頻度多いのなんでww


受験が終わってもこんな感じだったら、もうお手上げだなーと思う。


まぁそんときはそんときかー。


死にたいって思う人とかうつ病の人とかは、案外自分で理由が分からないことが多いと思う。


理由が分かってたら、さすがにまずいと思って自分で原因を取り除くだろうし。


だから今の自分には分からない原因があって、死にたいんなら、時が来るまで無理に犯人捜しする必要がない。


死にたいんだなーって受け止めて、泣いて、寝て、眠れなかったら適当に映画でも見て、また寝る。


それを許してくれない家族がいるのなら、一刻も早く家出る覚悟を決めるw


弱ってるときに無理に明るくなろうとするから余計辛くなる。


なんだかんだ死なない自信があるんだよね、全く根拠のない。


またそのうち元気になるやろ、ってぼーっと思ってるのがいい。


こう考えると結構自分、図太いな。



情け (2)

「情けは人のためならず。」という言葉は、人に情けをかけてもその人のためにはならないから、情けをかけないほうがよい、という意味のときもある。


これは、原義ではなく、いつしか世の中に広まった誤用であるらしいが、この場合の「情け」は前回の「情け」とは別種類である。


そもそも、情けとは


1.思いやり、情愛 2.男女間の情愛、恋心 3.風情、趣 4.風情を感じる心 
など実は様々な意味を持つ。(3.4.は高校の古文の授業でよく使うなぁ)


かけたほうがよい情けは1だろう。かけないほうがよい情けは1から派生する哀れみや同情心だと思う。


同情心や哀れみそれ自体は人間らしい感情であり、決して感じてはいけない感情などではないと思う。
道端に傷ついているスズメを放っておけず家に持ち帰って看病すると、翌朝元気に飛び立っていった…などは人間の同情心・哀れみの心を持つからこそ生まれる美しい話である。


同情心は悪いものではない。しかし、今の私は極力持たないように注意している感情である。





口癖のようにすぐ「かわいそう」と言ってしまう自分がいた。


今となっては、例をあげようとしても何がかわいそうだったのか忘れてしまったが…。


忘れてしまうくらい頻繁に、「かわいそう」を使っていた。


一般的に他人が自分より不幸な状態のときに同情をする。


一時的にその人の立ち位置に自分を置き換えてみて、自分も同じ辛い感情を味わうこと。


意識している場合も無意識な場合もあると思うが、はっきり言えば無関係な他人を想って自分をあえて苦しくさせているとも言える。




自分は精神が弱かった?のか、良い響きで言えば心が優しすぎた?のか…


影響されやすいのだ。テレビで悪いニュースが流れてきても「へー。ふーん。」と受け流せない。


こんな大変なことが起きてるのか… この人は辛いだろうな… かわいそうに…
とか考えながら見ていた。(それが普通だと思っていた(笑))


自分が誰かから悪意をもって嫌がらせをされても、悲しみつつも、この人はよほど親から愛されていないのか…はたまた人間に必要な基本的なことも教えてくれないような親だったのだろうか…かわいそうに…とか思っていた。


それで心を痛める。自分よりもっとそういう傾向の強い人は、朝のニュースを見て午前中はずっとどんより過ごす人もいるらしい汗汗


これはあまりにも無益。悲しいことに。。。




同情心が無益にならない方法。


同情は感じてしまっても一瞬だけ、ほんの一瞬に留めておく。


そして、自分はその人のために何ができる?無理のない範囲で力になれることはある?


考える。


ある→実行する、無理はしない


ない→忘れる 二度と思い出さない


これだけ(笑)





これを真面目に実行していくと、劇的に同情する時間は減る。


練習し始めて1年半以上経つが、前とは比べ物にならないくらい他人に同情しなくなった(笑)


新聞を見ても、フーンかわいそうだけど自分にはどうしようもねぇや。以上。


初めのころは、自分の無力さを痛感してさらに心を痛めたりすることもあるけれど、諦めずに同情したことに気付くたびこの練習を繰り返し繰り返し行う。


そのうち同情心をコントロールできる神となる(笑)(笑)


それはあまりにも極端だ!人間らしい心を失いかけている!冷徹だ!と言われることも承知。


同情心をほとんど感じないことは良いことでも悪いことでもない。


これは私に必要な訓練。自分が生きやすくなるための訓練。自分の体質への防衛。←このことは詳しく話せば長いのでまた今度。


同情心は諸刃の剣的性質をもつ。これを知らない人も、恐ろしいことだけれど、確かにいる。うまく使えないのなら捨ててしまったほうがよい。


今、共感力・同情力が強すぎて生きづらい人は、そのことを忘れずに毎日過ごすだけで良い変化が起きると思う。


本当はほどほどに同情できる人が一番理想的なんだけどね(笑)



チョコではない

おはようございます。こんにちは。こんばんは。


今日の北陸は久~しぶりの快晴。


いつもはどんより灰色の曇り。


とても気持ちのいい朝です。



(写真撮るの苦手です。映りが暗いですが、実際めっちゃ明るいです。屋根の積もった雪がキラキラ。)


今年はとにかくよく降りますね…。毎年なんだかどんどん降雪量が減っていっている気がしたけど…。


受験終わったら即スキーに行こうと思います!





今日はバレンタインですが…私は友達も恋人もいないので、お世話になっている先生にプレゼントを渡したいと思います。





ずばり、おつまみセットです。


チーかまは自分も大好き。美味しいよね。


柿の種の後ろにある黄金の袋は「一度は食べていただきたいサラミ」。結構高い。


一度は食べていただきたいそうなので、お酒好きな人はぜひ食べてあげましょう。




小論を見てくださるN先生は甘いものが大嫌い。


チョコや羊羹を心底憎んでいらっしゃるので、酒のつまみをぷれぜんとふぉーゆーしようと思います。


昨日スーパーで買ってきたのですが、レジが若いお兄さんだったので、普通に恥ずかしい。


夜に一人スーパーで酒のつまみを購入していくJK…(恥)


「自分の嗜好品ではありません!!50代のおじさんのためです!!」


って訴えたかった(笑)






良い袋がなかったので、適当な紙袋をチョイス。


先生はきっと喜んでくれるはず…o(・ェ・o))((o・ェ・)o



情け

「情けは人のためならず。」


この言葉は本当に深い意味があるなと常々思う。


原義は、「人に親切な行いをするといずれ巡り巡って自分のもとによいことが還ってくる」という意味。


つまり、他人への親切は(その人のためではなく)自分のため、ということ。


なるほど、人に親切にすると、自分が得をするのだな。


たしかに、いつも笑顔で他人に接していて気持ちをよくさせていたり、困っているときにさっと助けたりする人は、たいてい好かれやすい。


人に好かれると、好かれないよりも得をすることが多いだろう。
自分が困ったとき今度は逆に助けてもらいやすくなるかもしれないし、お返しに何かお菓子でももらえるかもしれない。これは大いに納得。


自分はこの「自分のため」という言葉には、まだ他にも意味があると思う。


人に親切にするということは、自分の時間や労力(場合によればお金)を大なり小なりその人にかけるということ。


人間は不思議なことに、自分が少々損をしても、他人が喜ぶ姿を見ると、その損はすっかり忘れてしまい、一緒に嬉しくなってしまうものだ。


人に親切をすると、その人が喜んでくれ、自分も幸せな気持ちになるので、自分が得をする、という意味も含まれていると思う。


(まぁ、それも、「巡り巡って還ってきたよいこと」のうちの一つともいえる。)





この言葉は「だから、他人に親切にしなさい。」という教訓が続くこともある。


私はここまでくると疑問を感じる。


たしかに、「情けは人のためならず。」は間違っていない。


しかし、だから人に親切にする、というのは違うと思う。


正確に言えば、親切にしないことと比べるとよいことかもしれないが、歯車がかみ合わなくなってくる気がする。



情けが人のためではなく自分のためになるのは、真心込めてその人に対して親切にした場合だけだと思うから。


自分のために行う他人への親切は、取り繕っていても、いずれ他人も気付くものだ。


つまり見返りを求めるを親切にしてもらった人が察知すると、その人が心底喜ぶことは難しくなる。


結果的に、自分へ還ってくるはずのよいことは還ってこなくなることが増え、「親切にしても、意味ないじゃん」というパターンに陥る。


情けが自分のためになる場合は、真心を込めてしたときに限るという条件付き。




たまに「あの人は冷たい。あんなこともしてあげたのに、礼の一つもない。」という人がいる。


(人に親切にしてもらったときに感謝を口にするのは、人として基本的なことだと思うが、何か事情があって言い忘れただけかもしれない。口内炎が痛すぎて話せなかった可能性もある。いずれにせよ、その人が礼を言わなかったことの是非はここでは論じない)


ただ自分が感謝されたい、優しい人だと思ってほしい、というのためにその人は親切をしたのだ。


だから、そのが満たされなかったとき、イライラして、結局自分のためになっていない。


自分が得をするために行ったはずの親切が、逆に自分に損をさせることになる。






だから人に情けをかけるときは、決しては出さない。当り前のことで、やってみると案外難しい。


かけて、忘れる。かけて、終わり。かける、それだけ。


たとえ目に見えるよいこととして自分に還ってこなくても、それだけに価値がある行為だから。


欲がどうしても出てきてしまう器の小さな人は、親切にしないほうが何倍も潔い。


「自分は器の小さな欲深い人間である。人に感謝や見返りを求めてしまうから、いっそ人に親切にしないぞ。」と決めた人は、少なくとも、自分を客観的に分析できているし、何より謙虚さがある。


自分はそのことを肝に銘じて、自分のできる親切しかしないようにしている。


そして、少しずつ少しずつ自分のできる範囲を広げる、自分の器を大きくすることを目標にしている。



人に親切にするときは、自分を忘れて、その人のことだけを考えればいい。


そうすればいつの間にか「情けは人のためならず」、自分のためになっている。



母がわたしに花を買ってきてくれた。


ピンクのスプレーカーネーション。


「……なんで?」って聞くと


「んー部屋に天使が来てくれるかなと思って」


たったそれだけの会話と、スーパーに売ってる普通の花だったけど、




突然泣いた しかも30分くらい(笑)


自分でもなんで泣いているのかはっきりとは分からなかった。


普段からそのへんの人よりかは情緒不安定だけど、感動して泣くのは多分3年ぶりくらい。


でも、なんでか分からないけど、ようやく何か気付けた気がして、嬉しかった。


母の愛情が、素直に嬉しかった。






高1の冬まではすごく楽しかった。


けど、自分の体調が急に悪くなって、それから友達もどんどんいなくなって、


楽しいことが減って、辛いことが増えた。誰からも理解されなくなった。


多分、人生で初めて人間の闇の部分をいっぱい見た。


自分は不幸だった。それは避けられない運命みたいな出来事だったから。


ずっといつになったら自分は幸せになれるのかな、どうやったら皆みたいに明るく生きられるのかなって考えてた。二年間、毎日。





だけど今日やっと、やっと、ちょっとだけ気付けた。


本当に自分を不幸にしてたのは不健康な体でも、面倒な体質でもない。


自分の思い込みだったのかぁ。


他の人と比べてハンディキャップはあるけど、だから不幸ってわけじゃない。


むしろ、幸せだった。小さくても幸せはいつもあった。


でも幸せじゃないって思いこんだせいで、自分は自分を不幸にした。


人の批判ばかりするようになったのも、学校が嫌いになったのも、家族に愛されてないと感じるようになったのも、


全部自分が原因。


自分が不幸せだと思い込んでたせいで、そういう風にしか世界を見られなくなってただけ。


思い込みって怖いなぁ…。




気付いたことで、現状がすぐに変わるわけじゃない。


今まで散々努力してきたのに治らなかった自分の体質が、そんなすぐ変わってたまるか!(笑)


あと1年かかるかもしれないし、2年かかるかも。もしかしたら死ぬまでかも(泣)


そんなにすぐ解決する問題なら、初めから思い込むこともなかったと思うし。


だけど、気付けて良かった。


というか、気付かないといけなかったんだな。


自分は幸せってこと。


天使はもうそこにいたんですね。